もんちゃんの雑学集

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オリンピックマラソンの世界最長記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3で保持者は日本人!

※注意!NHK大河ドラマ「いだてん」のネタバレになるかもしれませんので、閲覧にはご注意ください。※


今、何かと話題のNHK大河ドラマの「いだてん」。管理人は、時間帯が合わず、見ていないのですが、ネットサーフィンをしていたら、興味深い数字を目にしました。
オリンピックマラソンの世界最長記録は、54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。…二度見してしまいました。しかも、この記録の保持者が、「いだてん」の主人公 金栗四三(かなくり しそう)氏なのだそうです。
今日は、このエピソードを紹介したいと思います。


1891年(明治24年)、金栗氏は熊本県玉名郡富村、現在の和水町の名家の8人兄弟の7番目として生まれました。
父親が43歳の時に生まれたことから、「四三」と名付けられました。
5歳頃までは、ひ弱な子供でしたが、10歳頃には、自宅から小学校までの山坂を越える往復約12kmの通学路を、近所の生徒たちと毎日走って登下校する「かけあし登校」を始めたことで体力が付き、マラソンの基礎を築きました。


金栗氏は、1911年(明治44年)、20歳の時、翌年に開催されるストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場し、当時のマラソン距離25マイル=40.225キロを、2時間32分45秒で走りました。これは、当時の世界記録を27分も縮める大記録でした。これにより、金栗氏は、日本人初のオリンピック選手となりました。

 

さて、翌1912年(明治45年)のオリンピック本番最高気温40°Cという記録的な暑さの中、金栗氏は懸命に走りました。しかし、金栗氏は、折り返し地点の給水所に立ち寄らず、レースの途中で日射病になってしまい、意識を失って倒れてしまったのです。
金栗氏は、通りかかった近くの農家の人に介抱され、目を覚ましたら翌日の朝だったそうです。このため、金栗氏はレースを諦めざるを得ず、そのまま帰国しました。その日の金栗氏の日記には、悔しい気持ちが綴られていたそうです。


この金栗氏の棄権は、オリンピック委員会に伝わっておらず、「競技中に失踪し行方不明」として扱われてしまいました


ちなみに、金栗氏が倒れた直接の原因は日射病でしたが、他にも次のような事情がありました。
* 日本は初参加で、スケジュール調整や選手の体調管理など、選手サポートのノウハウが無かった
* 当時、日本からスウェーデンへは船とシベリア鉄道20日もかかり、選手への負担が大きかった
* スウェーデンは緯度が高くオリンピック開催期間はほぼ白夜であったため、不慣れな日本人には睡眠に支障があった
* 当時のスウェーデンには米がなく、予算の都合で人数分を持参するのも難しかったなど、食事の面で苦労した
* 金栗氏は足袋で走っており、舗装された路面での練習に慣れておらず、足袋が破れヒザを痛める結果になった
* マラソンの当日、金栗氏を迎えに来るはずの車が来ず、競技場まで走らなければいけなかった
* このレースでは参加者68名中およそ半数の33名が途中棄権しており、またレース中に倒れて翌日死亡した選手(ポルトガルのフランシスコ・ラザロなど)までいた


こうして、ラソン中に消えた日本人の話は、地元で開催されたオリンピックの話題の一つとしてスウェーデンではしばらく語り草となりました

 
時は流れ、1967年(昭和42年)、金栗氏は、スウェーデンのオリンピック委員会からストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待されます。
この記念式典の開催にあたって、当時の記録を調べていたオリンピック委員会が、金栗氏が行方不明扱いになってしまったために正式な記録が付いていないことに気付き、金栗氏を記念式典でゴールさせることにしたのです。


この招待を受けた金栗氏は、ストックホルムへ赴き、式典で競技場をゆっくりと走り、場内に用意されたゴールテープを切りました
この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされました。


ゴール後、金栗氏は、「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とユーモア溢れるスピーチをしたそうです。

 

如何だったでしょうか。
今回は、ストックホルムオリンピックに関するエピソードを中心に紹介しましたが、金栗氏は、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の開催に尽力したり、日本に高地トレーニングを導入したりと日本マラソン界の発展に大きく寄与し、「日本マラソンの父」と称された偉大な人物です。
今回紹介した54年8ヶ月6日5時間32分20秒3という金栗氏の記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われています。現に管理人は、まだこの記録まで生きていません。
また、ストックホルムオリンピックから100年を経た2012年(平成24年)に、金栗氏の曾孫にあたる男性が、金栗氏を介抱した農家の子孫を訪ねているそうです。
長い年月をかけた素敵な話だと感じました。