イタズラ心が招いた死〜滑石で滑って転んでしまった四条天皇の死とその後
※内容の一部が不謹慎かもしれません。予め御了承下さい。※
今日のネタ、まずは事の顛末を昔話風にしてみていきましょう。
昔々の時は鎌倉時代、四条天皇という、それはヤンチャな天皇がいらっしゃいました。
天皇は、父である後堀河天皇の譲位により、2歳という若さで即位しました。
天皇は、同年代の左大臣である九条忠家と一緒になっては、毎日、毎日、朝から晩までイタズラ三昧。
侍従(じじゅう)や女房たちは、ほとほと手を焼いていました。
そんな四条天皇が12歳のある日のこと、こんなイタズラを思いつきました。
「そうだ!廊下に滑る石を置いて、侍従や女房たちを転ばせてやろう!さすれば、さぞかし愉快であろうな!」
早速、天皇は、御所の廊下に滑石(かっせき)を撒きました。
「さて、上手く滑るかな?」
天皇は、自ら仕掛けの滑り具合をチェックしようとしました。
すると…
見事につるっと滑り…
転んでしまい…
打ち所が悪く、天皇はお亡くなりになってしまいました。
おしまい
…噓みたいですが、本当の話だそうです。
実は、この出来事により、四条天皇がお亡くなりになった後も大変でした。
当時12歳だった四条天皇に嫡子はなく、また、四条天皇の父・後堀河天皇は、四条天皇に位を譲った後すぐにお亡くなりになっていたため、四条天皇に男兄弟もおらず…
また後堀河天皇の兄も、いずれも出家しており、四条天皇の死により、祖父・守貞親王(もりさだ しんのう)の血統から皇位継承が可能な皇子は絶えてしまったのです。
これにより朝廷や鎌倉幕府(北条氏)は大混乱となり、天皇がいない状態が11日間続きました。
この「天皇空位」という状況は、過去450年以上なかったことでした。
そもそも、北条氏は、承久の乱で後鳥羽上皇と揉め、後鳥羽上皇の血統から天皇になる資格を取り上げました。
そうして、四条天皇の祖父・守貞親王の血統から、後堀河天皇が擁立されたのでした。
しかし、北条氏は、四条天皇がお亡くなりになったことで、後嵯峨天皇は宿敵・後鳥羽上皇の孫ではあったものの、北条氏の縁戚であるとして天皇に擁立したのでした。
後嵯峨天皇は、承久の乱の前年の生まれで、父・土御門上皇が土佐に流された後は、母方の貴族の家で育ちました。
その家は没落しており、生活は苦しく、20歳を過ぎても出家も元服もままならないという中途半端な状態に置かれていました。
皇位が回って来る予定もなく、貧しい暮らしをしていた後嵯峨天皇からすると、この四条天皇の死により天皇に即位したことは、棚から牡丹餅のような話なのでした。
如何だったでしょうか。
四条天皇の突然の崩御に関しては、このような歴史的背景もあり、巷では後鳥羽上皇の怨霊によるものとの噂が立ったそうです。
「現実は小説よりも奇なり」
この言葉がピッタリな話なのではないでしょうか。