もんちゃんの雑学集

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乾電池を発明したのは何と日本人だった!しかも発明しようとした動機は試験に遅刻したから!?

閲覧ありがとうございます。
乾電池を発明したのが日本人…しかも、発明しようとした動機が「試験に遅刻したから」と小耳に挟んだ管理人は、気になって調べてみましたので紹介したいと思います。

 

日本人として初めて電池を製作したのは佐久間象山であるとされており、その電池は「ダニエル電池」(液体式)であったと伝えられています。
そして、明治時代、乾電池が世界に先駆けて日本で誕生しました。その発明者は屋井先蔵(やい さきぞう)氏です。

 

では、どのようにして乾電池は生まれたのでしょうか。屋井氏の足跡を追いつつみていきましょう。


まず、屋井氏は1863年(文久3年)、新潟県の長岡に生まれました。1875年(明治8年)、当時13歳だった屋井少年は東京の時計店に丁稚として入りましたが、病気のため帰郷し、長岡で時計職人となりました。
その後、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)に入学を志しましたが、この試験に5分遅刻してしまったために失敗、また翌年は年齢制限により受験資格を失ってしまい、進学を断念せざるを得ませんでしたこのエピソードがあったため「連続電気時計」を着想したといわれていますそれから3年間は独力で永久自動機等の研究を続けました

研究の結果、1885年(明治18年)、屋井氏が23歳の時、電池で正確に動く「連続電気時計」の発明に見事成功しました。
しかし、当初使用した電池は液体式のダニエル電池などで、手入れが必要なうえ、冬場は凍結して使えないなどの欠点がありました。そこで屋井氏は本格的に「乾電池」の開発に取り掛かりました研究に研究を重ね明治20年(1887年)に「乾電池」の発明に成功しました。
ただ、屋井氏は発明にしたにも関わらず、当時の特許取得料金は高額で、資金不足のため乾電池の特許を取得はできませんでした。また、乾電池を発売した当初、世間の大半が「乾電池などという怪しいものが正確に動くはずがない」と考えており、屋井氏が発明した乾電池は全く売れませんでした。更に持病の為に寝込む日が続き、生活は貧窮を極めました。

また、屋井氏の発明した乾電池の価値を知った外国人が、万博にて自分が発明したものだと主張したため、しばらく時間が経つまで世界で最初に乾電池を発明したのが屋井氏であると認知されませんでした。色々と不遇はありましたが、その後、屋井氏の功績は世間に認められました

そして、1910年(明治43年)、屋井氏は神田区錦町一丁目に販売部を新築し、同時に浅草神吉町に工場を設けました。海外品との競争に勝ち、国内乾電池界の覇権を掌握するまでに発展し、「乾電池王」とまで謳われるようになりました。

 

病気がちで不遇の時代も多かった屋井氏ですが、最後は幸せだったのではないでしょうか。紆余曲折ありましたが、屋井氏の努力が実を結び、本当に良かったと思います。